TOP 二世尚洞 教室 作品 集う花

その花と人と    

           
 清風瓶華は、大阪の花籃造りの名人であった初代早川尚古斎の家に伝わる花を、その子であった
一世尚洞が1913年東京で創流し、投入花を中心にいけていました。早川の家の日常は床に季節の花
を挿し、煎茶をいれ、芸談に時を過ごす日々であったといいます。自然を愛する自由な気風に育まれた
この花は、多くの文化人や同好の士の間に広まってゆくようになりました。
 二世尚洞はその子で1931年一世の後を継いで、投入花から現代のいけばなの広い範囲の研究と門下
の育成に意を注ぎました。その特徴は自然を深く追求し、芸術性を尊び、個性をいかした明快で知的な
作風にありました。
 二世尚洞は戦後のいけばなの変革の動きにもその文人的な資質からかかわり、各種のいけばな展の
運営委員を歴任、財団法人日本いけばな芸術協会、いけばな協会の設立にあたり尽力し、芸術協会は
副理事長の後、相談役を、いけばな協会は理事長の後、顧問の任を勤めました。1969年、スイスで
開催された「日本古美術展」の会場挿花を担当、好評を博しました。生涯にわたりいけばなの研鑽に努め、
作品集の出版にも力を注ぎ、1997年6月、85才で没するまで作品をいけつづけました。また若い頃
より南画を辻香塢先生に習い、花と絵筆の総合的な世界を築き上げました。
 現、家元尚洞は二世の長男研一で、1997年父の後を継ぎ三世尚洞を襲名、投入花の研究と新しい、
いけばなの創造をめざし作品を展開しています。1979年西ドイツ・ボンにおける「アーティスツ・
ガーデンズ」に招待出品、その作品は高く評価されました。二世と同じく婦人雑誌並びにNHK・TVの
いけばなを担当。現在、公益財団法人日本いけばな芸術協会監事 いけばな協会常任理事

清風瓶華家元 一世 早川 尚洞

明治6年(1872年) 竹の芸を伝える一世早川尚古斎の六男として、大阪に生まれる。
その半生を実業界におくるが、後半生を野に或いは山に自然の境地に草花を訪ね
その志を以って、大正2年(1913年)東京で清風瓶華を創流する。
昭和6年(1931年)7月10日没

清風瓶華家元 二世 早川 尚洞

明治44年(1911年)6月16日一世尚洞と母アイの子として、大阪に生まれる。
大正2年(1913年)に一家上京し、東京に住む。
昭和6年(1931年)一世尚洞死去(59才)に伴い21才で二世尚洞を襲名する。
生涯にわたりいけばなの研鑽に努め、青年期習いおぼえた南宋画と新趣の気風を兼ねそなえた
文人花を追求しました。
平成9年(1997年)6月12日没

清風瓶華家元 三世 早川 尚洞

昭和39年(1964年)五流新世代 いけばなの未来像展に16才で初出品。
大学卒業後、副家元として二世尚洞のアシスタントを勤める。
昭和46年(1971年)二世尚洞と共に父子展を開催。その新しい花は大いに注目された。
昭和49年(1974年)新しいいけばなを目指す若手作家たちと「八人の会」を結成する。
植物の姿を見立てたポップアート調の作品を製作。現在は植物にこだわった作品を
発表している。その底に流れるものは自由な創作精神。
植物の特性を生かしながら植物同士で組み上げるいわゆる「剣山なし」の手法を考案した。
平成9年(1997年)父の後を継ぎ三世尚洞を襲名する。